2017年03月09日11時56分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-03-09 11:56:51

[PDF] ジョギング&ウォーキング・マップ

大阪城公園のジョギング&ウォーキング・マップだけど、注意事項に「自分のルートを優先して歩行者に道を譲らせるような傲慢な態度は控えましょう」とか書いてほしい。これは昔から心理学で「ジョギング愛好者の傲慢」として知られている心理だと海外の記事で読んだことがあるのだけど、何かの利害関係があるのか、マスコミ・出版業界は殆ど話題にしようとしないんだよね(あと、結局はそういう業界と繋がってる大学教員も)。

あと、こういう事例に限らず公共の場所で無礼な振る舞いをする「仕事権論者」とか「健康病」とか「一家団欒症候群」の人々にも、少しは自制を促したい。仕事というオレオレ大義のためなら満員電車でケータイを開いても許されるとか、自分の健康のためにやってるなら公での身勝手な振る舞いが許される(それを牽制したり批判するのは「間接的な人殺し」であるとでも思っているのだろう)とか、家族サービスは無条件の愛であり善行なので公共の道徳よりも優先すると思ってしまう人がいるんだよね。恋人同士や家族同士で歩いているときは、どれほど狭い歩道であろうと並んで歩くことが「愛の証」であって、道を譲り合う道徳よりも優先するというわけだ。

もちろん、このようなものは精神的視野狭窄とかナショナリズムに通じる、いわば自己中の一種であって、広い意味では条件次第で一時的に誰にでも生じる精神異常の一つに数えても良いだろう。僕だって、どれほど哲学に携わっていたり、こういう連中を「凡俗」呼ばわりしていても、こういう症状に陥らないという保証はない。僕だって(条件付きだが)家族や仲間は他人よりも大切だし、恐らく連れ合いは無条件に大切だと思っているので、他人から見て同じようなことをしていないとも限らない。それに、こういうことは凡俗に限らずエージェントとして形式化しうる個体のあいだで展開できるゲーム理論上の仕組みが応用できる場面においては、いくらでも複合的に組み合わさって起きる。仕事中の三下サラリーマンがケータイで喋りながら狭い道をやってくるのと、一家団欒の家族が並んで反対側からやってくるのとでは、どちらも馬鹿には違いないが、社会心理学やゲーム理論の素材としては興味深い馬鹿どもだ。

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