2017年02月13日10時08分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-02-13 10:08:23

よく2ちゃんとか何とか小町で自分自身の体験をネタにしている人について、「そうでもしなきゃ、やってられない」みたいな解釈を述べる人がいるんだけど、こういうのって端的に言うと「意味」なるものに思考を支配されているのではないか。自分自身に起きた不幸を、わざわざその場で通用しているジャーゴンを使ってストーリーに仕立て上げなくてはいけないなんて制約に自ら従っている時点で、その人物は自分の身に起きたことを深刻に受け取ってはいないのだと言って、何か問題があるのだろうか。軽やかに人生を送るのも結構だけど、そんなことで手にする「意味」なんて、実はないんだと思うけどね。僕らが「やっていること」の大半は、実際には僕らが思っているような、何か文化的な含意をもつ意味なんてない、ただの生物としての行動や反応だ。

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