2017年02月10日09時34分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-02-10 09:34:55

日本のネットユーザは他の国と比べても人口比にしてから 95% を超えていて非常に多いというのに、どうして Nautilus や Medium に掲載されるような(一概に「良質」とか「高度」と言えるかどうかはともかく、少なくとも「読み応えのある」)コンテンツが少ないのかと思うのだけど、まずそれを書く素養がないというのは大きい。つまり、海外のユーザに日本のユーザよりも何か高尚な動機をもって文章を書いている人が多いわけではなく、単に一定数の人たちが大学で勉強したことを有効活用してるだけなんだよね。だから個人のプロモーションという意図もあるし、それはそれで問題ない。日本の場合、大学生や学卒の大半は勉強してないから書くことがないのは当たり前だ。ユーザのうち 10% がブログなどの記事を書くとして、そのうち大学を出たなりの素養をきちんと持っている海外のユーザが 80% だとすると、日本では大学を出たなりの素養をもっている人は 1% くらいだろう。その差は歴然としているように思う。

あと、何の話題についてであろうと、丁寧に書くと日本ではすぐにイデオロギーと結びつけて足を引っ張る無自覚な工作員がいたり、「わかりやすさ」という妄想に取りつかれているような、はっきり言って低学歴の人々が闇雲に長文や厳密な文章をけなして回っている。もうそろそろ、西部=セゾン=博報堂系の、凡人の大量消費なお気軽ライフスタイルを礼賛するような知的にダサい考え方は老朽化しているはずなのだけど、残念ながら日本のように「超越者」がいない(というか、仮構の超越者とされる天皇陛下は、実はわれわれ凡俗が陰湿に維持している「制度的な奴隷」である)共同体においては、同じ過ちをいくらでも繰り返すので、少子化や学力の低下にも現れているかもしれないが、致命的な結果が多くの人たち自身に起きない限りは何も変わらないのではあるまいか(東北の震災ですら、圧倒的多数の日本人にとっては残念ながら他人事だったはずだ)。

しかるに、コンピュータサイエンスの学卒でも言語の設計思想やソフトウェアのアーキテクチャについて、およそ「理論的」と言えるレベルの話ができず、「Ruby でやってみた」「yum でアップデートしてみたときの覚え書き」系の御託しか書けない。でも、それは当たり前のことだ。

これを劇的に改善するための施策は、過激であることは承知しているが、たとえば日本国内から一切の高等教育機関を廃止してしまい、大学卒業資格は海外で取得せざるをえなくすればいい。もちろん留学するための費用は国内で進学すればかかっていた筈の費用を除いて、公費から補助する。そのため、もちろん科挙のような選抜試験が必要となる。海外の大学へ進学するための GRE を始めとする選抜プロセスもパスしなくてはならないため、相当に熾烈な競争となるが、ここには「国内だけの受験テクニックが通用しない」という利点もあるし、そもそも英語を学ぶインセンティブが(少なくとも進学できるという理由だけでも)明確になる。

こうすると、もちろん大学を卒業した資格をもつ人間は少なくなるので、当然のことだが大学卒業者の待遇は向上するだろう。そして、実際に大学を卒業した人たちの水準も上がっていると期待できる(海外の高等教育が日本並みでなければだが)。企業としては、大学を卒業した一部の人間だけでは仕事を回していけないから、次に行うべきことは、大半の職能の採用条件を下げるか、採用条件は下げずに外国人を海外で採用することになる(日本から高等教育機関はなくなっているため、日本に「海外からの留学生」は存在しない)。前者を実行すると国内の雇用について流動性が高まる可能性があり、後者を実行すると企業のダイバーシティが促進される可能性がある。それらが、結局のところ「良い」結果に結びつくという保証はないのだが、少なくともかなり広範囲のセクターや事業ドメインで大きな変化が現れると思う。

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