2017年02月08日09時59分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-02-08 09:59:56

2017年02月08日09時15分 に初出の投稿

とはいえ、何かを達成したということに多くの人達からの承認を得たいという欲求がある人もいることだろう。果たしてそれが当人の本当のインセンティブなのかどうかは個々に調べなくてはいけないが、そう公言する経営者や営業スタッフも会社にいるという事例はありふれていると思う。そうでもなければ、こんな非効率な習慣が自然発生的に何十年も続くわけがない。

これまでと同じく、世の中の大多数の企業や組織においては、その構成員はトップであれ三下であれ殆どが「凡人」である。そして、これも同じことの繰り返しだが、僕は「凡人」という言葉を単純な侮蔑語として使っているわけではなく、シニカルさも含めてそれは不可避的で「自然」な事実だと言っているのである。社内の通達や告知について、単に「それは不合理だ」とか「これは非効率だ」と指摘するだけで他人の行動や思考が変わるくらいなら、われわれ役職者など会社に必要ないし、恐らく経営学やマネジメントという学問あるいはコンセプトも不要だろう。こうした知識や知見が積み重ねられてきたのは、言うまでもなくその対象が単純に指摘するだけでは変わらない人々であり、その変わらなさ自体は非難しても仕方のないことだからである。有能で誠実な人間に生まれたり育って来なかったことを子供じみたベキ論によって非難したところで、それこそ無意味である。圧倒的な数の(というか、それ以外にはほぼいないと仮定する方が堅実であろう)凡人と共に組織をマネジメントしていかなくてはならない、自身も(恐らくは)凡人にほかならない我々にできることは、まず我々自身がせいぜい人並みのことしかできない凡人であると自覚することである。そして、だから何をやっても仕方がないとか人並みのことしかできないと(たかが凡人のくせに)勝手に自分のやれることの限界を外挿するのではなく、ありていに言って自分たちが何も知らず、まだまだ自分たちに経験や知見が不足している事実を(ビジネスで頻出する俗語で言えば)「伸び代」として積極的に理解することが望ましい。僕は、何も「凡人」は凡庸なままのレベルで留まる他はないなどと言った覚えはなく、そこから成長できる可能性を否定したことはない。そんなことは、自らが凡人であることを自称して憚らない僕自身についても自らを否定することになるが、僕はそんなことをするほど自分の能力や才能に悲観してはいないし、現状で十分だと言い張る「凡人ゆえの平凡さを正当化する傲慢さ」など唾棄すべきものだと思う。

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