新聞社のコンテンツとサービスのこと

河本孝之(Takayuki Kawamoto)

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First appeared: 2010-04-16 04:34;
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いま在席している企業では数多くの新聞社さんと共同でサービスを展開しているかたわら、こういう媒体で培われたコンテンツを正当な商品として提供する、もっと有効なやり方はないものかと少し考えてみることがある。

もちろん、それぞれの新聞社が抱えている、地方から海外に至る大量の記者であるとか論説委員とか寄稿者の頭数によって、新聞の発行という事業はこれまでそれなりの分量と歴史のある事業として成り立ってきたものと思うし、いい悪いはともかくその末端の勧誘員なり新聞配達員なりにも支えられて一つの産業として続いてきたのだろう。これはこれで評価すべきことだ。しかし不要なものは不要なのだし、それを決めるのはまさしくエンドユーザの意志であり消費者行動の結果であるから、社会の木鐸を自負しているのは勝手だが時代の趨勢に逆行するようなことをしていては、営利事業として目指す方向が見えなくなってくるのも当然であろう。(事業として立ち行かなくなっているのかどうかは、確たることが言えない。実際、何人かの論者が「そもそも新聞社の社員は平均しても年収 1,000 万円以上と給料がべらぼうに高すぎるのだから、それなりに抑えれば利益は保てる筈だ」と反論している。)

最近では当然のように「いんたーねっつでフリー」の論調が進軍ラッパをかき鳴らしており、営業畑で言うところの「回収スキーム」、マーケティング屋が言うところの「エコシステム」、そしてファイナンス畑で言うところの「ビジネスモデル」を時代に合わせて捻り出さねばならないとされている。これはもちろん一面では正しい。

しかし、数多くの記者が集めて編集委員が校閲した情報を、単にばら撒いていたらいいかと言えば、全くそうではない。記事を無料で公開している多くの新聞社サイトで、それなりにアクセスを集めているところは、やはり持ち出しである。ウェブで記事を単に公開するだけでは、新聞を購読するインセンティブにはならないし、広告を出稿しようと思う動機付けにも弱い(また、これは推測にすぎないが、新聞社のサイトでバナーなどクリックするだろうか)。記事をオンラインで公開しているだけでは、それだけのことでしかないのだ。

数年前に話題となったが、Google News をはじめとするアグリゲータのアクセスを拒否したり、いまどき RSS の配信をわざと拒否すれば、流入が更に減ってしまう。かといって、コンテンツを開放したまま野放しにしていれば、ヘッドラインや記事の一部をざっと見るだけでたいていのエンドユーザは満足してしまう。エンドユーザは、そこからあとは2ちゃんねるなり有名ブロガーなり Twitter なりで「記事について誰が何を語っているか」に興味を移す。彼らにとってはリソースが「新聞社という場所に存在している」ことを確認できればよく、そこで詳細な解説など読むつもりは最初からないのではないか。しかも、毀誉褒貶はあれ、雇い主と喧嘩までする名物論説委員だとか、ボブ・グリーンのような単独の物書きとしても評価されているコラムニストを抱えていない日本の新聞においては、天声人語のように奇怪な埋め草であるとか、各新聞社の思潮から一歩もはみ出さない予定調和的な文章だけを量産する編集委員や「文化人」が幾らいようと、既に人々の関心をひくことはない。既にこんにちのエンドユーザは、新聞記事をネタとして日記を書き、マイミクと語らったり、あるいは他の人が述べている論評を読むほうが有意義だと感じているのではないか。そして、これは情報の取扱いとして一概に間違っているわけではいない。もともと大多数の一般人など、起きている事柄を正確に理解したり論評できるだけの背景知識をもつわけでもなければ、そうした知識を使って正確に理解したり批評するという動機をもっているわけでもないからだ。そして、それは良い悪いの問題ではないのである。

1年ほど前、こうした状況にあって、では新聞社という事業体はとりわけウェブを利用して何をしてゆけば自社の資源を有効に活用できるのだろうかと、少し考えてみたこともあった。既に新聞社には明治時代からこのかた膨大なデータが蓄えられているのだが、それらを売り物にしようと言っても、僕らは過去の新聞記事を紐解く機会などめったに無い。せいぜい、NIES とかいう教育方法の受難にあった中学生が古臭い論説を読まされたり、あるいは大学生が統計などの目的でマイクロフィルムを借り出すくらいではないか。いまどきの 30 代以下の人で、スクラップブックを購入したことがある人など、都道府県あたり 100 人もいまい。かたや、Delicious や hatena といった、ソーシャル・ブックマークのユーザはどんどん増えていくだろう。

では、新聞社が Digg を上回るブックマーク・アプリケーションを開発して、自社の記事だけでなく他のブログ記事なども専用マイページに記録できるようにすればどうだろうか。しかし、このようなサービスも既にオープンでフリーなものが数多く出回っているため、有料でとなれば何らかの特筆すべき付加価値が必要となろう。例えば、一定数のスクラップ記事を印刷して製本してくれるとか・・・なんか聞いたことがあるな。

かようなわけで、一時は、大量の記事を検索したり自分用に分類できる機能、つまり「僕・わたし専用の朝日百科」みたいなアプリケーションを月額料金で提供すればどうかと思っていたのだが、どうやら難しそうだ。仮にそのようなサービスを有料で提供するなら、全国紙や地方紙あるいは業界紙まで集まって縦横無尽に過去の記事を利用できなくてはならないだろう。それくらいやれば、地方都市の都道府県立図書館よりも充実したリソースなので、新聞記事を取り扱う多くの人が利用してくれる可能性は高い。そして、そのパイがそれなりに大きければ、実は一般のエンドユーザなど大して集まらなくても事業として成り立つ可能性はある。例えば、全国の教員を合わせると 100 万人ほどになる。その 10% が月額 1,000 円で利用してくれれば、月の売り上げとしては 1 億なので、それなりの体制と設備を投資しても事業としては見込みがありそうに見えるのだ。もちろん他にも、著述業者や海外の日本研究者も利用を見込めるし、一般のエンドユーザにしても、二週間で記事がサイトから削除されたりしないパーマネントなオンラインリソースとして(たとえば学術論文の典拠にも)使えるなら、利用する値打ちがあると思う人はいるだろう。僕も月額 1,000 円なら検討したい。

ちなみに、大人の真面目な事業計画として考えるなら、このような計画の話が出てきたときに、チロルチョコレートの定価よりも大きな売値を掲げる物品・サービスには、何であれ「もっと安くすべき」と発言せずにはいられないガキなど、相手にする必要はない。こうしたサービスを事業として計画するときに最も大きな障害となるのは、各新聞社の利害関係をどうやって調整するのかとか、事業の主体をどのように構築すべきかを誰が決めるのかとか、あるいはありていに言って契約内容の精査にどの程度の時間やコストを要するのかという、つまりはネットでだけ威勢の良い子供のヒステリーとは殆ど関係のないまっとうな事業計画上の準備が大切なのだ。この点については、実はインターネットなど事の本質でもなんでもなかったりする。仮に複数の新聞社が共同で戦争なり経済なり社会問題なりについて記事を集めた印刷物を出版するという事業があったとしても、全く同じ事案を検討しなくてはならないだろう。

更に、システム開発や運用体制の確立・維持についても、実は大して重大な話題ではないのだ。われらが腐れ政府を舵取りしている民主党から大きな期待を集める IT ゼネコンならば、ネットワーク回線の契約にはじまり、サーバの大量注文やセキュリティの確保、あるいは各新聞社の主宰に事業内容を丁寧に説明できるキャバ嬢の訓練費用だとか、毎日コンソール画面に「top, Q, top, Q, …」とコマンドを打ち続けても精神が破綻しない「ものづくりプログラマ」を無意味に 2 万人ほど多重契約の派遣会社から雇い入れる費用に至るまで、初期であわせて数百億円くらいの見積もりを上げてくるかもしれないが(全くの皮肉である)、せいぜい数千万あればシステムは組めるし、まともな会社に任せれば年間で数億ていどしか事業運営の費用はかからないだろう。ちなみに「数百億だろうと数千万だろうと、どのみち高いではないか」という感覚しか持ち合わせていない零細経営者のノリで、この手の事業を立ち上げようとはしないことだ。少なくとも中小企業の経営者ならば数千万~数億のファイナンス能力はあるから、事業の規模やリスクを測って、おおよその経営アプローチを感覚で理解することはできるはずである。それができないなら、個人事業主レベルのファイナンス能力や経営感覚でこうした事業を評価するなどという傲慢な態度は慎むべきである。

新聞記事というコンテンツの有料化なりマネタイズについては、現行のオンラインコンテンツを会員制で閲覧させるようなモデルばかりが描かれ、それゆえ「こんなバカどもの文章が有料だなんて」とか(笑)、酷い言われようが多い。しかし、そもそも「有料化」という表現自体が悪意をも感じるほど明白に間違っている(新聞記事は、もともと無料ではないのだ)。エンドユーザが新聞社のサイトにコンテンツを利用しにやってくる場合、モバゲーや GREE や mixi へゲームで暇をつぶしにやってくる場合とは違う(もちろん! それらが同一人物の異なる行動かもしれない)。記事を読んだついでにエキセントリックな新刊書の広告を眺めることもあろう。しかし、それはことのついでであって、食卓に新聞を広げるオヤジと同様、新聞サイトのユーザにとっては所定の目的を一通り済ませることが重要なのだ。目にしたものへ即座に引き寄せられて、軽々と他のサイトへ飛んでしまったり、友達へ電話をかけ始めたり、あるいはその場で USAVICH の囚人 541 番(プーチン)みたいな、のへのへしたコサックダンスを始めたりはしない(別にしてもよいとは思うが)。それゆえ、新聞社サイトのビジネスモデルとしてバナー広告やブログパーツをサイトに貼り付けることなど、全くの愚行としか思えない。新聞に掲載されている広告は、それだけで(情報不足であろうと意味合いとして)完結しているから「新聞を読む」という行為の流れに留まれるのであって、バナー広告などとは、たとえ新規ウィンドウで開くから一時的な退出だと言っても、新聞(サイト)を利用するという流れの中で全く意味が違うのだ。したがって、バナーを貼っていさえすれば、いつしか無料のままで事業が回るようになるだろうというのは、これまでの紙媒体の新聞を読んでいた人々を観察し分析した人間の発言ではないと思う。

それでも、大きな図書館へ足を運んだり数多くの新聞を購読せずに済むというメリットだけで事業化しうるかどうかは怪しい。現状では、数多くの新聞社を説得してまとめることは不可能だろう。地方新聞社が集まってアグリゲーターの稚拙な真似事をやっている事例はあるが、サイトのできばえと同じく先行きは混乱の色合いを強めている(笑)。しかし、大量の情報を有効に活用する手段は必ずあると思うし、それなりに事業として継続すれば、将来も活用されるべきリソースが今後も蓄積され続けるのだ。

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