ヒュームの関係概念・前篇
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公開にあたって(2011-02-15 11:46)
この文章は、関西大学の修士課程(博士課程前期課程)へ進学するにあたって、いわば卒論の代わりに書いたものである。学部では法律学科に在籍していたのだが、日本にある多くの法学部では卒業にあたって卒業論文を課していないところが多く、私の在籍していた大学でも卒論を課していなかった。したがって、この文章は正式にどこかの大学で受理されたものではないが、竹尾治一郎先生(現・関西大学名誉教授)に提出した。なお、手書きではなく、私が友人たちと自費出版していた LOGIC AND PHILOSOPHY in the humanities and sciences (supplementary Volume, 1992, pp.10-64) という同人誌をそのまま提出した。
さて、このたびハイパーテキスト版として初めて公開するのだが、オリジナルの原稿である「一太郎」形式のファイルから「WORD」形式へコンバートしたものが古い CD-R に残っていた。しかし、開いてみて気づいたことだが、ご多分に漏れず正確にコンバートされていなかったらしく、まるで OCR ソフトで印刷物をスキャンした結果の文字列であるかのごとく、意味の通じない箇所や「か→が」などの識別誤差あるいは全く識別できずに「八亡イuご‘亡方e五みなr」などとなっている箇所が散見された。そこで、印刷物と突き合わせた復元を第一に考えたのは言うまでもなく、これに加えて、ちょうどよい機会でもあるから、復元後の原文にあった誤字や脱字も改めることとした。もちろん後知恵で愚かな議論を取り繕うようなことはせずに、論旨はそのままとしておいた。文体についても、かなり堅い表現を多く使っているが(まずもって「わたくし」という表現には、ウィトゲンシュタインの翻訳文章からの感化が見て取れる)、これを現在の本人の文体に直してみたところで得るものは少ないと判断し、特に直していない。
以上の事情から、読者にお願いしたいのは、この文章は20年近くも前のものであり、どのようなことを考えて書いたのかという具体的な動機や経過については、いまとなっては正確に説明できないということである。したがって、内容についてご批判をいただくのはもちろんありがたいことではあるけれども、「どうしてこう考えたんですか」といった類の、記憶にかかわるようなご質問には回答するのが難しいという点だけ、斟酌いただければ幸いである。
それから、いま現在も直にテキストを入力し直しながら無駄に長い文章であることに悩まされている。このため、ひとまず前篇・中篇・後篇(原文の紙面で約20ページ分ずつ)に分けて公開することにした。この前篇は第1節から第4節まで、中篇は第5節から第7節まで、後篇は第8節から第9節まで(文献表も含む)という構成にする予定である。
第1節 因果関係にかんするヒュームの議論において前提とされていること
デイヴィッド・ヒューム(1711-1776; スコットランド生まれ)の著作において、「原因すること ‘causation’」が「原因と結果の関係 ‘the relation of cause and effect’」として理解されていることは注目に値する*1。一見、明白に思えるこのことは、因果関係にかんするヒュームの見解を明確なものとするために、ぜひ強調しておかなければならない*2。なぜなら、きわめて平凡にヒュームの著作を読むならば、『人間本牲論』において自説を展開してゆくときの「論理」であるとヒュームが呼んだものは、端的には「哲学的関係」と呼ばれるものであり*3、「彼の論理的な命題は関係の理論によって叙述される」(神野,1984:128) と言えるからである。
*1 ヒュームは “causality”(因果性)という語を用いていないように思われる。この点は、電子版で出ている『人間本性論』及び『人間知性研究』(Oxford Electronic Text Library, Oxford University Press, 1990) によって検索すれば瞭然となろう。しかしヒュームが因果「関係」を考察しているという点にかわりはないのである。
*2 このような着眼によって関係を考察している著作は、(杖下, 1982: 43-48, 53-56) やJ・A・ロビンソンの論文 (Beauchamp and Rosenberg, 1981: 14f) で簡潔に紹介されている)などがある。
*3 『人間本牲論』で言われた「論理 logic」(Hume, 1978: 175) は、「推理 reasoning」において使われるものとされており、椎理は比較して哲学的関係を発見すること (Hume, 1978: 73) である。
因果関係にかんするヒュームの見解をめぐっては、門外漢にもかなり顕著なかたちで論争が続けられている.例えば「ヒュームに関する近年の著作」と題する論文において、著者のD・C・イェルデン=トムスンは、「因果性と必然的結合についてヒュームが何を言っていることになるか、という問いには広い範囲で不一致がある」と明瞭に述べて、その不一致が二つの点で生じていると言う (Yelden-Thomson, 1983: 13)。
ヒュームの議論をめぐる不一致のうちで拙論とかかわっているものは、ヒュームが『人間本性論』と『人問知牲研究』のそれぞれで与えた、「原因」の二つの定義に関するものである。この不一致についてイェルデン=トムスンは、「たまに啓発されることもあるのだが」と灰めかしてから、次のように述べている (Yelden-Thomson, 1983, 13)。
ヒュームによる「原因」の二つの定義を取り巻く論争も、やや失望させるやり方で、ヒュームがどう読まれるぺきかという問いに関する不確実さを、継続して覆っているのである。〔…〕二つの定義に関する論争をみるならば〔…〕、人は、解釈の目録が殆ど滑稽なまでにたっぷりとあることを見出すのである。(Yelden-Thomson, 1983: 14)
なぜ滑稽なほど解釈が乱立してしまうのか。イェルデン=トムスンは「ヒュームがどう読まれるべきかという問いに関する不確実さ」をその理由として挙げている。しかしこうした、解釈という営み自体の不確実さ挙げる前に、ヒュームの著作でもっと詳細に検討すべきことはないかどうかを考えてみるぺきではないだろうか。杖下隆英によれば、混乱した解釈を整理するためには、次のような論点に注目すべきであるという。ヒュームは連合原理の一つに因果関係を含めており、また哲学的関係にも因果関係を含めている。そして後者の因果関係を成り立たせる本質的要素として必然的結合を挙げ、これを結局は連合原理としての因果関係で説明している。これは「明白な循環」であると言えるであろう (杖下, 1982: 78)。そしてこの循環が、「原因」の二つの定義にかんする厄介な論争を生むのである。杖下隆英によれぱ、この循環の部分的な理由は、ヒュームにおける関係という語の「二重性」に求められるという (杖下, 1982: 54)。それゆえ、ヒュームにおける関係というものを考察することが、二つの定義にかんする厄介な論争に部分的な解答を与えるのである*4。
*4とは言え、解釈が混乱している責任の一端はヒューム自身にもある、と多くの著者が指摘している (神野, 1984: 6) (Passmore, 1952: 1) (Smith, 1949: 3) (Wright, 1983: 2)。この点を捉えて、「現在までに提出されたヒュームの哲学にかんする見解のうち、幾つかのものは、ヒュームの著作には全く何の整合性もないと叫び、彼の著作には見込みがないと言って解釈を投げ出してしまったのである。〔…〕ジョン・パスモアがこう言っていた。つまりヒュームはパークリーと違って、『整合性に無頓者』であり、また『哲学好きの生意気な青二才 puppy-dog、でしかない。ヒュームは或る問題を考えるのに疲れてくると、それに歯形をつけたまま放り投げて別の問題へと移ってしまい、そしてまた悩み出すのである』」(Wright, 1983: 3)〔引用部分は、(Passmore, 1952: 87f.)〕。
原因と結果のかかわりをはっきり因果「関孫」として捉えることが重要である、という指摘は、因果性にかんする現代の議論においても幾つかの著作に現れている。例えば「原因の先行性 the priority of cause」や「因果関係項 causal relata」といった話題が注目される背景には、因果関係を或る関係として考察しようとする意図がある*5。それゆえ関係にかんするヒュームの議論へ注目すれば、「因果関係にかんするヒュームの議論」を明確化するだけではなく、因果関係にかんする現代の議論にも何らかの示唆を与え、因果関係を理解するために幾らか寄与しうるであろう。以上の前提から、関係にかんするヒュームの見解を明確なものとすることにより、第一に因果関係が或る関係であるというやや平几な事実が強調され、第二に因果関係にかんするヒュームの解釈に何らかの示唆が与えられ、そして第三に現代の因果性研究に対して幾らかの寄与を果たすと思われる。なお、ヒュームのように体系的な著作を書いた思想家たちは、何らかの前提をもっているものである。わたくしは、ヒュームが関係を重視したという前提から、「関係概念」とでも呼べるものを想定しようと思う。そして本拙論の課題は、ヒュームの関係概念はどのようなものであったかを再構成することにあるだろう。ただし、確がにわたくしはヒュームが何らかの点において整合的に関係概念をもち、関係について一貫した考えをもっていたと想定するけれども、正当に論拠を示すことができると判断すれば、わたくしは躊躇なく問題点を指摘し批判を加えるであろう*6。そして拙論における幾つかの解釈や批判も十全なものとは限らないのであり、拙論は読者の吟味に依存しているのである。
*5 原因の先行性をめぐる、フリュー Anthony G. N. Flew、ダメット Michael Dummett、プラック Max Black、ペアーズ David Pears らの諸論文は著名であろう。また因果関係項にかんする著作も、(Ehring, 1987) をはじめとして、キム Jaegwon Kim、サンフォード David Sanford、メンツィース Peter Menzies らの諸論文がある。
*6 ホワイトヘッドが正しくも指摘したように、「論理的な首尾一貫性の欠如は、いくつかの先行ずる錯誤以外の何かを示しうるという信念」は、全くの誤謬ではないにしろ、解釈の正統的基準を提供するものとは思えない (Whitehead, 1979: xxvii)。寧ろそうした信念をもつ人々の多くは、著者が矛盾した意見を発言してしまうことがあるという許すべき誤りと、著作が矛盾した見解を帰結してしまうという許すべからざる誤りとを混同しているのである。
第2節 『人間本性論』における関係の説明およびその背景の概観
まずはじめに、ヒュームが1739年から1740年にかけて出版した『人間本性論 A Treatise of Human Nature: Being an attempt to introduce the Experimental Method of Reasoning into Moral Subjects』からみてゆこう。端的に言えば、関係は第I巻第I部第V節において説明されてはいる。けれども、それまでの文脈や前提を無視して議論することができないので、関係についてヒュームが説明するところまでを骨子として紹介しておこうど思う。
ヒュームはなぜ『人間本性論』のような著作を書こうとしたのだろうか。恐らく大きな理由は二つある。まず彼には、デカルトやペイコンやロックに見られるような、知識全体の基礎を新たに打ち立てることという偉大な目標があった (Passmore, 1952: 42)。そういった知識全体の基礎を確実なものとして保証する担保は、「方法」と呼ばれており、ヒュームは彼自身の方法を担保だと現に述ぺている (Hume, 1978: xvi; Passmore, 1952: 42f.)。これに加えて、ヒュームは当時の自然哲学におけるニュートンの成功を知っていた*7。それゆえヒュームにとって、
ニュートンは最高の業績を代表しており、ペイコンが始めた歩みの到着点を示していた。類比を加えるならば、ヒュームは人間の科学においてニュートンと同じ地点に到着しようと試みたのである。(Stroud, 1977: 5) *8
これら「方法」における合理性とか確実性を、理性ないし経験に拠るものとして正当化する試みは、今日では認識論哲学と呼ばれている(このように表現できるので、わたくしは石黒英子の主張と共に、合理主義と経験主義の単純な二分法を紋切型として使わないのである。石黒, 1979: 1)。モンテーニュやデカルトやペイコンに始まる思潮へヒュームを位置づけてみるならば、ヒュームの見解はその思潮を受け継ぐものであると言えよう。
*7 (杖下, 1982: 4) によれば、ヒュームは1722-3年頃工ディンパラ大学へ入り、3~4年在籍していた。そして (Smith, 1949: 53 注1) によると、1708-42年の間エディンパラ大学で自然哲学を教えていたステュワート Robert Stewart は、デカルトとニュートンの見解に通じていた人であり、ヒュームはこの人物の講義に出席していたらしい。
*8 「『実験的方法』としてヒュームが理解していたものは、二ュートンの時代以前に物理へ適用されていたものである。ヒュームは『実験的物理学の父』としてニュートンではなくベイコンを紹介している」(Wright, 1987: 197)。だからヒュームは、ニュートンの成功を契機として、ベイコンに始まる実験的方法を重視したと言えるだろう。
そしてヒュームが『人間本性論』を書こうとしたもう一つの理由は、彼の宗教的見解から説明できる。幼少の彼が受けた教育はカルヴァン派のものであった (神野, 1984: 52)。当時のスコットランドでは、穏健派が徐々に台頭してきたとはいえ、まだカルヴィニズムの影響を受けだ長老派教会の勢力が強かったのである。「彼は、カルヴィニズムのような絶対的で超越的な神が、人聞の道徳を人間の存在意義が無に等しくなる程までに支配することに耐えられなかった」(神野, 1984: 54) のであり「価値は超越的な存在にではなく、現世に生きる人間のうちに見出されるに到るのである」(神野, 1984: 54)*9。それゆえ神に対して過少なものであると強調された人間観、そしてその人間観に基づく当時の諸学には不満を感じたのである。加えて、人間にかんする学間の現状は惨憺たるものに見えた。こうして、彼は人問にかんする学問を基礎から刷新しようと意図して、『人間本性論』の構想を企図したのであろう。
*9 カルヴィニズムは予定説を主張すると言われている。つまり神を信じる者になるかならないがということさえも神の意志によるのである。そして長老派教会とは、カルヴィニズムの影響を受け、長老と牧師が遅営する教会を言う。スコットランドではカトリックの女王とプロテスタントの貴族が対立した戦争の後、議会が1567年に長老派を国教として認めてからは、長老派教会の伝統があったわけである。
『人間本性論』でヒュームが意図したものは、人間性に関する考察である。そして人間性にかんする考察は、「我々が用いる観念の本性」そして「推理において我々が働かせる作用の本牲」についての知識を増大させるとされる (Hume, 1978: xv)。ここで述ぺられている「作用 operation」は、自然にわたくしたちがはたらかせるものである。しかしそうした作用つまり「自然な原理の作用」(Hume, 1978: xix) は、自分自身の精神において捉えようとしても、そうした考察の意図が原理の自然な作用を乱してしまうので、他人のふるまいを注意深く観察して、その観察を集めて推理することで得られなければならないのである。
ヒュームは人間が推理するときに自然にはたらいている作用、および人の心に現れる観念を探究して、そこから人問性にかんする学問を新しく打ち立てようとした。その理由はデカルトやベイコンらと同様に、当時の諸学が陥っていた思弁的な混乱をどうにが刷新して、学問を確実なものにしたかったから、ということである。
そしてヒュームは、全ての知識や学問は人間の(われわれの)知識であり学間なのであるから、諸学は人間性にかんする知識で基礎づけられると考えた。また当時、確実な学問として成功を収めていた自然哲学におけるニュートンの著作を知って、ヒュームは或る範囲で成功した方法が知識全体の基礎として適用されてもよい、つまり、人間性の学にニュートンの手法が適用できるのではないか(「実験に拠る推論の方法を導入する試み」)と考えた。それゆえヒュームの課題は「人間の推理」における「自然な作用」の本性そして「観念」の本性を追究することにある。
なおヒュームは当時の著名な哲学者たちから大きな影響を受けており、特にロックから多くの知見を得ている(文献を挙げ立証する必要もなかろう)。それゆえ、ヒュームは人間の知識にかんする学問が「観念の本性」をも追究しなければならないとも考えたのである。人問の知識に関する学問が観念を扱うことはデカルト以降の常識だった。
そしてヒュームは「観念 idea」を論じる*10。きわめて粗雑に要約すれば、人間の心に現れる対象は知覚されるものであり、それは生気と勢いのある「印象」および、印象よりも生気や勢いの乏しい「観念」に区分される。更に、印象および観念は、それぞれ「単純なもの」と「複雑なもの」に分けられ、単純印象・単純観念、複雑印象・複雑観念として区分される。そしてヒュームは、単純印象と単純観念のかかわりについて、「どんな単純観念も、それが最初に現れるときには、単純観念と対応してそれを正確に代表するような単純印象から生じるのである」(Hume, 1978: 4) という命題を立てる。これは、教科書的に言えば、生得観念はないというロックの見解を受け継ぐものである。
*10 『人間本性論』を既に読んだ方は、この節の終りまでを飛ぱして読んでいただいてもよい。
加えて、ヒュームは印象を「感覚の印象」と「反省の印象」にも区分して、前者は解剖学などが探究すぺきものとし、後者についてだけ論じると言う。反省の印象とは、何らかの観念を思い描いたり思い出したりするときに生まれる印象であり、こうした印象は(結局は観念が印象から生じるのだから印象に由来するとは言え)直接には観念から生じるものであり、情念や欲望や感動といった印象がそれに当たる。
また、観念を思い描いたり思い出したりするには「記憶」および「想像」という二つの仕方があり、記憶の観念は想像の観念よりも印象の生気をかなり保持している。そして想像による複雑観念は、記憶による複雑観念よりもその構成が恣意的になっており、結局その複雑観念を構成する個々の観念は印象に基づくとは言え、想像では記憶における単純観念の配置よりも自由な配置を取りうると言う。
さてもしも想像が単純観念を自由に組み合わせて複雑観念をつくるとすれば、想像がはたらく仕方を説明することはきわめて因難であろう(ここで、想像の作用は推論の作用ではないということに注意する必要がある)。しかしこうした想像にも或る決まった仕方がある。それは「一つの観念がもう一つの観念を自然に導くような、或る連合させる牲貿」ではあるけれども、「分離できない結合といったものとして考えられるのではない」のであり、「ゆるやかな力」としてだけ見散されるべきものである (Hume, 1978: 10)。そして観念がまとまるこうした仕方を、ヒュームは「観念の連合 the association of ideas」と呼ぶ。またこの連合の仕方には「類似 resemblance」「時や所における近接 contiguity in time or place」「原因および結果 cause and effect」があるという。しかし、これらの性質が生じる原因についてはよく知られておらず、また連合原理の原因を詮索することは慎まなければならないという。
真の哲学者にとって、原因のむやみな探究願望を抑えることほど不可欠なことはない。充分な実験で確立した教説をもって満足していながら、更にその教説を吟味しようとするならば、彼は曖昧で不確実な思弁へ導かれるに違いない。このようなときは、自分の原理を導いた原因について考察を費やすよりも、その原理が導く結果について考察を費やす方がよいだろう。(Hume, 1978: 13, 第I巻第I部第IV節)
そして彼は、観念連合の結果について考察を進めてゆく。
こうした、観念の連合ないし観念のまとまりからもたらされる結果のうちで、たいていは単純観念をまとめる何らかの原理から生まれるものであり、そして我々の思惟や推論のありふれた主題である、複雑観念ほど注目すぺきものはない。これら複雑観念は、関係、様態、そして実体に分類できるだろう。(Hume, 1978: 13, 第I巻第I部第IV節)
こうして、ヒュームは関係について次のような説明を与えるに至るのである。
関係という語は、互いにかなり異なった、次のような二つの意味でよく使われる。まず関係は、二つの観念を想像において結び合わせたり、一方の観念から他方の観念を自然に導くような性質を意味しており、この仕方は先に述ぺた。また、二つの観念を空想において任意にまとめたものについてであれ、我々がそれらの観念を比較して厳密に考えることができる特殊な状況があるときに、この状況も関係と言う。そして後者の如く、結合の原理なしに幾つかの特殊な比較題目にまで関係の意味を広げるのは哲学においてだけであり、ふつうの言い方では、我々はいつもはじめに述ぺた方の意味で関係どいう語を使うのである。例えば、隔たりは、哲学者たちから真の関係として認められるであろう。なぜなら我々は、諸対象を比較して隔たりの観念を得るのだから。しかしふつう我々は、「これらのものほど互いに隔たったものはありえない」とか、「これらのものほど関係に乏しいものはありえない」などと、まるで隔たりと関係が両立しないかのように言うのである。(Hume, 1978: 13f., 第I巻第I部第V節)
第3節 経験に裏打ちされた仮説としての連合原理
自然的関係としての連合原理を説明するためには、この原理がヒュームの方法によって想定されたものであることを理解する必要がある。そしてこの方法とは、第2節の説明からニュートンに影響されたものであることがわかる。実際、ヒュームにおける方法がニートンに影響を受けている、ということは多くの研究者によって指摘されている。そうした人々の意見で差し当たり無害なものを挙げるならば、
ヒュームは彼自身、心についてニュートンのようなことをしているのに気づいていたとよく言われる。ニュートンは引力で物体の動きを説明しようと努めたのに対し、ヒュームは心について、観念の原理によって同じようなことを試みたのである。(Hanfling, 1979: 504)
といったようになり、この種の指摘は馬に食わせるほど見つけることができる。では、ヒュームば連合原理についてニュートンからどのような影響を受けたのだろうか。
ヒュームが自然哲学の方法を採用しようとした理由は、第2節の冒頭で紹介した。もう一度ここで別の研究者が与えた表現を引用しておくならぱ、次のようになる。
〔…〕ヒュームの志しは精神料字におけるニュートンとなることであった。そしてこの志しは二つの面がある。第一は、ニュートンの引カ理論に匹敵するような、心に関する大胆な一般理論――連合主義――をもたらすことであった。そして第二は、わたくしたちのいまの関心へ直に関わることであり、それはニュートンの方法を精神科学において押し進めることなのであった。(Passmore, 1952: 43)*11
ヒュームは、二ュートンの方法を自らの主題へ適用しようとした。こうした意図の現れは、勇えば『人間本性論摘要』と題されたパンフレットにおいて示すことができ、ヒュームは自身の方法について「仮説の軽視」という点を強調している (Passmore, 1952: 45)。これば二ュートンの有名な「私は仮説をつくらない Hypotheses non fingo」を思い出させてくれるようだ。では、なぜヒュームは仮説を軽視したのか。それは、仮説に対する事実というものをヒュームが重んじたことにあった。事実は「実験や観察によって発見されるのであり、思弁じみたところがないように思われる」のである (Passmore, 1952: 47)。つまり、事実は実験や観察といった経験によって裏打ちされるものであって、仮説は、ペイコンの言葉を借りるならば、「実地にもとづく」ものではないのである。
*11 ちなみに、ここのパスモアの指摘を紹介した(神野, 1984: 27) 神野慧一郎によれぱ、「二ュートンの体系にならったヒェームの心理学的体系の建設という目標は、二ュートンの自然学における引力の法則に比せられる観念連合の原理とともに『探究』では遥かに後退することになる」のである (神野, 1984: 27-30;『探究』は拙論で言う『人間知性研究』のこと)。
また、連合原理を述ぺた節でヒュームが与えた忠告(前節の終りを参照)も、次のような二ュートンの主張と比ぺてみれば、ヒュームがニュートンにかなり影響を受けていたらしいと考えることができるだろう。なお以下に引用した部分はパスモアの指摘に拠っており、わたくしが『光学』を読み通して見出したものではない (Passmore, 1952: 49)。
これらの引カがどのようにはたらくかを,私はここでは考察しない.私が引力とよぷものは、衝撃もしくは私の知らない他の方法によっておこなわれるのかもしれない.ここでは私はただ,原因が何であれ,一般に物体を互いに近づけるカを表すためにこの言葉を用いる.なぜなら,われわれは,引カがはたらく原因を究明する前に,どのような物体が互いに引き合うか,また引力の法則と性質とは何かを,自然現象から学ばなければならないからである.(Newton, 1983: 332)
それでも、ヒュームやニュートンは、観察や実験によって得た結論が連合原理や引力の法則であったとすれば、それは単なる仮説ではなくて、わたくしたちが尊重してしかるべき一つの理論なのだと言うであろう。それゆえヒュームは、連合原理がいがに人間の本性に関する仮説のようにみえても、それは経験に裏打ちされているから主張するに値すると考えたのである。
〔…〕ヒュームはこの類比を真面目に受け取っていた。ニュートンのように、彼は「仮説による」科学の終焉を支持していた。これは、人間の真理を見出そうとするために仮説へ全く関与しない、ということを意味するのではない。そうではなく、我々が世界に関する自らの推測や妄想を単に無理強いしてはならないということであり、そしてそのような推測や妄想を確実でよく確立された真なるものとして受け入れてはならないということを示すだけなのである。もちろん、実験の基礎として成立する限り、我々は単純で一般的な原理を探究しなければならない。そしてそうした原理を超えては何も見出し得ないならば、探究を止めるのである。それゆえヒュームもまた、ニュートンの精神である「私は仮説をつくらない」を主張できるのである。(Stroud, 1977: 5f.)
ところでパスモアによれぱ、ニュートンはヒュームと異なり、自らの格言である「私は仮説をつくらない」をいとも簡単に打ち破り、重力の原因を考察しているらしい。
もし我々がそれを知れば万物がなぜそのようにあるかをみることができる、といった意味で決定的に理解可能な、事物の体系というものが存在することを、ニュートンは疑わなかった。ニュートンが引力の「原因」の存在を疑わなかったのは、ここに理由がある。(Passmore, 1952: 49f.)
しかし、ヒュームは連合原理の原因はよく知られていないとしてその詮索をしない。そして、パスモアによると、ここにはヒュームとニュートンとの対照が可能であると言う。ニュートンとロックは、心の内部の実体が感覚によっても反省の働きによっても知られないことに気づいていた。ただし彼らは、事物内部の本性を洞察する経験的知識を獲得することが結局は理想であると考えていたのである。これに対して、
ヒュームは、少なくとも彼の革新的な傾向を示すところでは、こうした理想を打ち砕くのである。理解されるぺき「心の内部の本性」など存在しない。記述というものは二流の科学ではなくて、それこそが科学なのである。この一点において、ヒュームにおける「仮説の軽視」はニュートンよりも徽底している。(Passmore, 1952: 51)
また、同様の解釈として、ヒュームはニュートンよりも更に実験的機械論的哲学を一貫して奉じていたのだとする見解 (神野, 1984: 31f.)、そして上記のようなロックの理想を経験論からの逸脱とする見解 (石黒, 1979: 17)もある。
ともかくヒュームの著作には、ニュートンから影響をうけた実験的かつ機械論的な方法が適用されたと言える。またそれゆえに、「二ュートンの機械論的な用語でヒュームが心を考察したという傾向は疑いの余地がない。そして、ヒュームにおける心の力学のモデルは、彼の多くの哲学的帰桔に対して深い影響を与えている」(Stroud, 1977: 9) と言えるのである。ここでストラウドが述べた「心の力学のモデル」とは、連合原理を始めとする、『人聞本性論』第I巻第I部の論述であろう。そして、わたくしたちはヒュームの連合原理をそうしたモデルの要素として見倣すことができるのである。ヒュームは心の「動的」な説明を意図していた、というわけである。
さてここで私見を挟むならば、パスモアの幾つかの解釈には疑問がある。確かにニュートンは重力の原因について語っているけれども、ニュートンは重力の原因にかんする仮説を次のように説明しているのである。
これまで天空とわれわれの海に起こる諸現象を重カよって説明してきたのですが、重力の原因を指定することはしませんでした。事実この力はある原因から生ぜられるものです。〔…〕けれどもわたくしは仮説を立てません (Hypotheses non fingo)。といいますのは、現象から導きだせないものはどんなものであろうと、「仮説」と呼ばれるべきものだからです。そして仮説は、それが形而上的なものであろうと形而下的なものであろうと、また隠在的なものであろうと力学的なものであろうと、「実験哲学」にはその場所をもたないものだからです。〔…〕重カが現実に存在し、わたくしたちの前に開かれたその法則に従って作用し、天体とわたくしたちの海に起こるあらゆる運動を与えるならば、それで十分なのです。(Newton, 1979: 564f., 括孤内のラテン語は河本)
この部分だけをみるならば、確かに二ュートンは重カの原因について去々しているけれども、別段これはニュートンが自己の方法について不徹底であったということを示すほどの強い証拠ではないと思われる*12。加えて、ヒュームが自己の方法について徹底していたかどうかは、ニュートンとの比較によって考察するよりも、寧ろヒュームの著作自体において考察すべきことがらであろう。上記におけるパスモアとストラウドの解釈を比較すると、パスモアのほうがかなり仮説の軽視という点を過度に強調しており、この限りではストラウドの解釈が適切と思われる*13。更にヒュームの著作が「記述的」なものであるというパスモアの解釈に至っては全く不正確な解釈だろう。ヒュームは明らかに「説明的」な論述を展開しているからである。「彼〔ヒューム〕は、ニュートンの『私は仮説をつくらない』に賛同して、これを繰り返している。しかしこれは、彼の観念の理論が単に記述的であるということを意味するわけではない」(Pears, 1990: 66, 註)。
*12 寧ろニュートンの不徹底を指摘するならば、(神野, 1984: 31f.) で指摘されているように、宗教的見解と科学的見解との齟齬によって指摘すべきであるだろう。
*13 また、ストラウドの解釈を支持する見解として、(Newton, 1979: 417) の訳註 (2)、および (Newton, 1979: 565) の訳註 (2) を挙げることができる。後者の訳註では、「わたしは仮説をつくらない」という主張について、「それはあらゆる作業仮説を排するものでもなく、想像カの自由な飛翔を禁じようというものでもないことは、論をまたない」としており、仮説を微底的に排除することは実験哲学の要点でなく、単に思弁的な仮説を排除することにだけ要点があったということを示している。そしてこれは、ヒュームの著作にもみてとれるから、パスモアの解釈は強すぎると言えるだろう。
更に、「〔ニュートンはこう考えた、すなわち〕重力はたぶん物質の究極的な特性ではないだろう。恐らく、それは更に究極的な特性や原因に帰するのである。しかし、重力は我々にとって究極的なものであり、そして少なくとも暫定的には受け入れなければならないものだろう」という見解も、パスモアの解釈に比ぺてストラウドの解釈に近いものであろう (Smith, 1949: 55)。仮説としての連合原理は、「我々にとって宇宙のきずなである」(Hume, 1978: 662)。
実験および観察によって人間のふるまいから推理された、人間の知性の働きを記述すること。これがヒュームの意図したことである。そしてこのとき、第一に、ヒュームは二ュートンの実験的方法を確かに採用している。また第二に、観察から直に推理されたものではないような知性の働きを、観察に裏付けられずに仮説だけで描くことをしないという意味で「私は仮説をつくらない」という二ュートンの格言を採用しているとも言える。そしてこの方針は、客観的必然性の観念を批判するところでも明らかなように、観察に裏付けられない観念というものは印象からもたらされたものでないがゆえに無意味である、という誌理実証主義者が喜びそうな主張においても指摘できるだろう。そして第三に、ヒュームは「或るものと或るものとの動的なつながり」、そしてそこに推理される力のようなものを描こうと意図している。これもニュートンの「引力」に関する理論がヒュームに与えた影響としてみてよい。
経験に裏打ちされることを強調したヒュームの方法は、恐らく『プリンキピア』の第4規則における、帰納的方法から導かれた仮説の思弁的仮説に対する正当性が影響しているだろう (Newton, 1979: 417)。そして、観察された他人の振る舞いを扱うということには、二ュートンが観察の対象として考えた「現象」という語からの影響がみられる。ヒューム人間性の学問において、ニュートンが扱う理論的に無垢な対象を「他人の振る舞い」として求めたのである。そして観察に基づく仮説を立てることは思弁ではないという知見に、ストラウドの解釈を受け入れた限りで、「わたしは仮説をつくらない」からの影響をみてとることができるだろう。どのような仮説も駄目だというわけではない。ヒュームはただニュートンと共に、仮説を導くための手続き上の正当性を問題としているだけなのである。
観念と連合原理からもたらされる複雑観念としての哲学的関係は、連合原理という仮説を原因と見做しうる一つの結果であり、この結果は経験に裏打ちされた信頼すべきものである。このときわたくしたちは、複雑観念をつくる連合原理というものを、想像という能力の有効範囲における作用ないし力として捉える。そしてこの作用によって、観念どうしを比較すること(推理)が説明されるのである。確かに、連合原理はもっと正確な作用によって置き換えられるかもしれないし、また連合原理は何か更に基本的な原因で明確に説明することができるかもしれない。けれども観念と観念の連合が満足にこの原理で説明できていれば充分なのである。こうした「説明原理」の定式化で満足しようという提案は、『プリンキピア』の第1規則に拠るものかもしれない (Newton, 1979: 415)。こうしたブラックボックス的説明原理の導入がどう評価できるかについては後述で言及する。
これらの結論によって、連合原理にかんするヒュームの議論がどのように弁護できるかを二つの反論についてみておこう。二つの反論とは、
- ヒュ一ムは人間の推理の本質を探究すると言っているが、連合原理の原因を更に追究しなければ、人間の推理の本質など知ることができないのではないか。
- 観念連合を関係として見做すことができるのだから、観念連合をという観念を導いたのは観念連合だということになり、循環しているのではないか。
といったものである。そしてこれら二つは、これまでの考察から誤った反論であることが分かるだろう。
respondeo dicendum〔答エテ言ワネバナラナイ〕:人間の推理の本質を探究するヒュームが連合原理の原因を更に追究しなかった理由は、その原因を追究することが経験に裏打ちされていない推理を要求するからである。つまり経験に裏打ちされた連合原理という仮説を導く推理は正当であるけれども、その連合原理は経験から直接に推理されたから正当なのである。しかし連合の原因は、「連合原理という仮説を結果として導くであろうような原因」であって、まだ確証されてもいない連合原理という仮説を、事実ないしあたかも経験されたことであるかのように前提するから不当だというわけである。
ただし、連合原理を仮説として導くことが正当であるためには、自然哲学の方法が正当だと言うだけでは不充分であり、「そもそも導かれるべきものが連合原理のような作用あるいは連関でなければならない」ことが正当でなければならない.なぜなら、人間性の探究において「推理における自然な作用」が措定されるためには、他人の振る舞いに仮定することができる作用を前提しておく必要があるからである。そうでなければ、ただ散漫に他人の振る舞いを眺めて、そこから自然な作用がある筈だなどとどうして言えるのか? つまり、他人の振る舞いが自然な作用の結果「であることを観察する observing that」ことがヒュームの方法なのである(別にわたくしは、ヒュームが自分の観察について、それが理論負荷的な観察であることを自覚していなかったと糾弾したいのではない)。そして、ヒュームが『人間本性論摘要』でライプニッツに言及し、『人間知性研究』で「予定調和」の語を援用したように、連合原理を仮定することにおける彼の確信というものは、やがてその正しさが確かめれるだろうという確信なのである (Hume, 1975: 54; 1978: 646) (神野, 1984: 22) (van Fraassen, 1980: 12f.; 1986, 41)。ヒュームがなぜそもそも「推理における自然な作用の桔果として」他人の振る舞いを観察しなければならないのか、という点については、おそらくヒュームが既成の知見として「関係」にかんする何らかの理論を得ており、また関係が重要であると考えていたからだと思われる。そしてこの既成の知見は、次節でみるようにロックの著作における幾つかの見解を指すに違いない。
respondeo dicendum〔答エテ言ワネバナラナイ〕:さて、連合原理を観念として導いたのは連合原理ではないか、という反論が的はずれである理由は、連合原理が「想定された仮説」であることをその反論は無視しているからである。連合原理は、単に理論的要請からこしらえた哲学的おもちゃではない。しかし連合原理は実在するものとして説明できないのである。それゆえ、連合原理を説明することは、人問の推理の本質を「記述」することではない(寧ろそうした記述は生理学に委ねられるとヒュームは考えたようである。Cf. Hume, 1978: 60f., 第I巻第II部第V節)。連合原理は正当とされた方法から導かれた一つの結論なのであり、方法の正当性に依存し、他人の振る舞いを観察した回数に依存し、また観察した他人の振る舞いにおいて何に着目したかということにも依存する。
それゆえ、二つめの反論は、「事実としての」連合原理によって「仮説としての」連合原理が想像されるという理解に基づく反論であって、これは連合原理がどのような思惟の作用に基づいてであれ説明上の仮説として導かれたのだ、ということを理解していない。また現に仮説とされている連合原理を人間知性の事実として先取するという誤りを犯している。連合原理は、わたくしたちにとっての原理なのである (Hume, 1978: 662)*14。
*14 それゆえ、例えば J・L・マッキーが『宇宙のきずな (The Cement of the Universe)』の序文で、因果関係は真相においても宇宙のきずなであると述べて、連合原理が全く主観的なものであるかのように扱っていることは、不当であると言えるだろう (Mackie, 1980: 2)。連合原理という仮説それ自体は主観的かもしれないが、連合原理によって説明されようとしているものは、主観的なものとして理解されているのではないからである。
しかしこれだけでは、二ュートンにおける引力を人間の思惟に想定しようとした理由が明らかになっていない。わたくしたちはここで、ヒュームがニュートンの引カを人間性の学に類推しようとした前提として、先の一つめの反論に対する反駁において言及したように、当時の哲学における「関係」の理論の存在を挙げることができる。人間的知識の一つの基礎は関係であった。ヒュームがそうした理論を熟知しており、またその理論を改めるために、ニュートンにおける引力という知見を利用しようとしたならば、ヒュームが自然哲学の方法を導入しようとした理由も理解可能なものとなるであろう。そして、当時の哲学における関係の理論とは、主としてロックの著作で展開されたものを指しているのであり、この理論はヒュームにおける哲学的関係の理論を用意するものでもあった。
第4節 哲学的関係の哲学的背景
『人間本性論』の著者に影響を与えた哲学的見解をつぶさに指摘すれば、それこそわたくしの度量を越える作業が必要となる。またヒュームの「関係」にかんする議論だけを特に扱うという拙論の目的からすれば、そうした数多くの先行する知見を全て扱おうとすることは、混乱を招くもとであろう。ヒュームに何らかの影響を与えた見解を知りたいならば、読者は、資料ではモスナーによる「ヒュームのメモ」(Mossner, 1948)、そして懐疑論(Olshewsky, 1991) (Popkin, 1955)、中でも特にグランヴィルからの影響 (Popkin, 1953) (Richter, 1980)、道徳からの観点 (Stewart, 1976)、特にハチスンからの影響 (Smith, 1941: 22-51)、デカルトからの影響 (Flew, 1986: 12-17) (神野, 1984: 23-26)、ロックやニュートンからの影響(ヒュームにかんする大抵の研究書では言及されている)を読者の関心に沿って紐解いてゆけばよい。それゆえ関係について重要と思われる哲学的見解だけをここでは検討する。そうした見解の中で特筆すべきは前節で紹介したようにロックの見解であり、関係にかんするロックの見解は、ヒュームの見解に大きな影響を与えていると言われている (Church, 1941: 354) (Hendel, 1983: 103-106)。例えばヒュームの「哲学的関係」がロックから影響を受けていると指摘したラルフ・チャーチは、次のように書いている。
ロックによれば、「関係は二つの事物を互いに考えたり比較する仕方であり、比較することで一方または両方の事物へ何らかの呼称が与えられる。そして時にはその関係自体にも名前が与えられる」。こうした比較としての関係の概念は、『人間知性論』の草稿 A と草稿 B において与えられたものであるが、草稿 A から草稿 B へとだんだん説明は増えているのに、関係の概念は全く明瞭になっておらず、正式な著作としての『人間知性論』ではこうした不明瞭が放置されている。それゆえ『人間知性論』においては、「不完全かつ不確実な分析」しかされていないとエアロン教授は言う。それにもかかわらず、『人間本性論』が企図された頃の読者にとって、関係にかんするロックの上記の見解は、非常によく知られた教説であった。そして哲学において「関係」は、比較の主題に与えられる名前だったのである。(Church, 1941: 354)〔ロックからの引用部分は、(Locke, 1961: 268-269, 第I巻第XXV章第7.節)〕
上の引用に登場するエアロンによれば、関係というものは「心が比較するカからもたらされる産物である」(Aaron, 1971: 179)。そしてロックば関係に深く注目しており、『人間知性論』が世に出てからというもの、哲学者たちは誰も関係というものを無視できなくなったのである (Aaron, 1971: 179)。それゆえ、ヒュームもロックから関係の重要性を教えられた一人だったと言ってよいだろう。では、ヒュームがロックがら教えられた関係の理論とも言うぺき見解は、どんなものだったのだろうか。
ロックは『人間知性論』の初版を世に送るまで、幾つかの草稿を書いている。それらを検討するならば、次のような点に注目することができるらしい。
驚くことに、関係は草稿 A では第3節で議論されている。この部分は殆ど出だしと言ってよい。だからロックが始めて人知の本質と範囲を熱心に考え出したとき、彼はすぐさまに関係というものに目を向けたのである。草稿 B では、関係の説明は最後にきている。ロックはここで彼の体系に関係の理論を据えようと試みているが、それは失敗してしまっている。ロックはどこで関係を導入してよいか分からず、またひとたび関係を持ち込んでも、どうやって議論を展開してゆけばよいか分かっていないのである。(Aaron, 1971: 179f.)
以上の結論がもし正しいならば、ロックは関係の「理論」というものを描き出すことが出来ていない、と言えるだろう。それでも、人間の知識の本質とか範囲を語るために関係というものに注目すぺきであるという主張は、明らかにロックがヒュームに与えた影響である。しかしヒュームがロックの著作に感化されたとき、彼は関係の重要性だけでなくロックの幾つかの見解や前提を受け取っていたのではないか*15。
*15 抽論には素人の解釈に特有な単純化が適用される。つまりヒュームの論述から著名な先行する思想家の影響を差し引いた残りはヒュームの理論である、という全く素朴な仮定を受け入れるのである。誰かの理論における本当の独創部分を抽出することは、「実はヒュームにしかじかの影響を与えた人物Xが実在する」という途方もなくやっかいな議論を呼び起こす。しかし、確かにそうした議論は可能ではあれ、わたくしたちは他人の影響を受けていようとその見解を自分で考えていると言える限りにおいて、その考察の帰結を自らの理論と呼ぷことが許されるのである。そして事実そうしたことが許されている限りにおいて、わたくしはヒュームの「理論」ないし「見解」という語を用いるつもりである。もう一つの弁解は、本節のはじめに述ぺておいた。
わたくしは第2節において、ヒュームがどのような文脈で関係を導入しているかについて説明した。そして第3節ではその前提となるぺきヒュームの方法について説明したのである。するとわたくしたちは、第2節と第3節から得た知見をまとめて、ヒュームが関係をどのような議論に基づいて導入したかを語りうる。まず、『人間本性論』の目的は、わたくしたちの「観念」と「推理における自然な作用」との本性にかんする知識を増大させることであった。そして後者は、観念を連合させる原理として説明されている。単純観念は一般にその原理で複雑観念をつくり、複雑観念の一つに関係がある。
ではロックは関係をどのような背景に基づいて導入しているのだろうか。
心が単純観念に対して使う能カ、といった心のはたらきは、主として次の三つである。(1) 幾つかの単純観念を一つの複合観念に組み合わせること。全ての複雑観念はこうしてつくられる。(2) 単純であれ複雑であれ、一方の観念を他方の傍らに据えて両方の観念を一度で捉えられるようにして、それらを一つの観念にまとめないでおくこと。こうした仕方で、全ての関係の観念が得られる。(3) 実在の単純観念を、それに伴う他の観念から分け離すこと。これは抽象化と呼ばれ、全ての一般観念はこうして得られる。(Locke, 1961: 130, 第I巻第XI章第1.節)
ここで、(1) と (2) がヒュームにおける連合原理と哲学的関係の説明によく似ていることが分かる。しかしロックは (1) を関係としては説明していない。ともかく、ロックも関係というもの(一般観念としての関係?)を心のはたらきの産物としているのである。そして、
複雑観念は観念を複合させたものであったり、さらにまた複合させた観念を複合させたものであったりする。そうして複雑観念は莫大な数になり、種類もとめどなく多くなるから、人の思惟を満たしたり楽しませるには違いない。けれども私が思うには、それら全ての複雑観念は、以下に挙げる三つの項目に帰するであろう。
- 諸様態
- 諸実体
- 諸関係
(Locke, 1961: 131, 第II巻第XI章第3.節)
最後の種類の複雑観念は、我々が関係と呼ぶものであり、これらは或る観念を他の観念と比較して考察することにその要点がある。(Locke, 1961: 132, 第II巻第XI章第7.節)
ここで直ちに注意すべきは、ロックが「関係」を「心のはたらき」ではなく「心のはたらきの産物」として説明したということである。これはヒュームが自然的関係としての連合原理をまさに心のはたらきとして措定したことと明らかな対照をもっている。また、上記の比較を見れば、ロックとヒュームの体系はかなり多くの点で相違していると言えるだろう(両者の体系における類似点については、後述を参照せよ)。
そして、以上のように論じたあと、ロックもヒュームと同様に「関係について」と明確に題された一章を設け、その冒頭で次のように説明している。
心は、単純であれ複雑であれ諸事物自体としての観念をもつほかに、或るものと他のものとの比較から得る観念をもつ。何かを考察しているときの知性は、考察している当の対象だけにかかわるのではない。つまり知性は観念を、言わばそれ自身を越えて携えることができる。或いは、当の観念自身を越えて、他の観念とどうやって連合しているかということを、知性は少なくとも眺めることができるのである。心が或る事物をそのように考察しているときには、その事物を他の事物のところへ運んだり、その事物を他の事物の傍らへ据えたり、またその事物から他の事物までを眺めやるのであり、これが関係とか関連という言葉の意味することなのである。(Locke, 1961: 266, 第II巻第XXV章第1.節)
これは一体どういう理論なのであろうか。上記の説明を理解するためには、ロックが何について説明しているかという点を理解する必要がある,エアロンは、ロックが関係についてうまく議論を展開できなかったと評するさきほどの見解を述べたあとで、次のように言っている。
関係にかんするロックの見解は、次のような事実でさらに混沌の縁へ追いやられる。つまり『人間知性論』の言い方では、我々は関係の観念についてだけ護論しなければならず、関係それ自体を議論できないのである。厳密に言えば、知性が直に接する対象は関係ではなく、諸観念の関係でもない。知性の対象はそうした諸関係の観念なのである。そうした関係の観念は、我々のテーブルの観念んとテーブルとが違うのと同様に、恐らく関係とは違っているのであろう。(Aaron, 1971: 180)
ここでわたくしは、拙論において「関係」と述ぺてきたものが何であるかについて明確化する責任がある。つまりヒュームが「関係」と書いているものが何であるかについて、わたくしは明確化しなければならないのである。なぜなら、ヒュームは連合原理と哲学的関係が関係の異なる二つの意味であると言っているから。ここで、もし二つの意味が、どちらも「関係それ自体」及び「関係の観念」などといった意味づけで区別されているとすれば、二つの「関係」は関係の理論によってではなく観念の理論によって区別されていると言えるからである。それゆえ、ロックおよびヒュームにおいて、どのような観念が可能であるかをみておこう。
教科書的知見に基づいて言うならば、「観念」によってロックが与えた説明はデカルトの見解から影響されている*16。デカルトによれば、観念とは、それが知性の中に思念的にあるというかぎりでの、思惟された事物そのものを意味する (Descartes, 1973: 129)。ここで「知性の中に思念的にある」とは、デカルト自身によって次のように説明される。
〔…〕例えば誰かが、太陽が私の知性のうちに思念的にあることから太陽に何が生起するか、と問うならば、外的な命名、つまり太陽が知性の作用を対象という仕方で限定するということ、以外の何ものも太陽には生じないと答えれば、最もよく答えることになります。もしもしかし、太陽の観念について、それが何であるかが問われ、そしてそれは知性のうちに思念的にあるというかぎりでの、思惟された事物である、と答えられるとするならば、誰ひとり太陽の観念が、それのうちにその外的な命名があるという限りでの、太陽そのものである、と知解する者はいないでしょう。そしてここでは、知牲のうちに思念的にある、ということは、知性の作用を対象という仕方で限定する、ということではなくて、知性の対象が通常あるその仕方で知性のうちにある、ということを意味するでしょう。(Descartes, 1973: 129, 第1答弁)
*16 ここで直ちに言わなければならない。関係にかんするヒュームの理論を理解するために本節ではロックの理論を扱っており、そしてロックにおける観念を理解するために、デカルトの見解を参照しようとしている。わたくしはこうした影響を事細かに遡るつもりはなく、そうした避及を拙論では意図しない旨を本節のはじめに述べた。けれども、先人の影響を参照することが思考の逸脱であるなどと言うつもりもない。それゆえ、必要に応じてこれから述べるような参照を行っているのである。
またデカルトは、次のように観念を定義している。
観念という名称でもって私は、任意の思惟の形相、かかる形相の直接的な知得によって当のその思惟そのものを私は意識するわけであるが、そういう思惟の形相を、知解する。かくてつまり私には、何ものをも言葉によって、私の言っていることを知解しつつ、表現するということは、まさしく〔知解しつつあるという〕このことよりするに私のうちにはその言葉によって指示されているものの観念のあることは確実である、というそのかぎりでなければ、できないわけなのである。かくして、独り表像において描かれた像をのみ観念と私は呼んではいないのである。(Descartes, 1973: 196, 第2答弁)
これに加えて、「思惟する事物」とは、デカルトによれば、「疑い、知解し、肯定し、否定し、欲し[したいと思い〕、欲せず〔したくないと思い〕、また想像もし、そして感覚し、するもの、である」(Descarted, 1973: 42, 第I省察)。
これらのことから、観念について何が更に言えるのだろうか。上記においてデカルトが説明している「観念」は、ロックにおける次のような説明において殆どそのまま保持されているように見える。
ここでの主題について考え進める前に、私はここで読者に、観念という語を頻繁に使ったことについて弁解したい。この語が先の箇所においても頻繁に使われていることを読者は見出すだろう。私は、人が考えているときに知性の対象となるものを観念と呼ぷことが相応しいと考える。それゆえ私は、観念という語によって心象や思念や形象が意味するものすぺてを表現しているのであり、また何であれ思考において心が扱うものを観念と呼んでいるために、頻繁に使用せざるを得なかったのである。(Locke, 1961: 9, 第I巻第I章第8.節)
ここでは「観念」という語が心における現象のようなものとして理解されている (Flew and Vesey, 1987: 17; 1989: 26)。それゆえ、デカルトにおいてもロックにおいても、観念はきわめて広くぼんやりとした意味づけしかできない。あるいはわたくしたちの心において「意味される」一切のものを観念と呼んで差し支えないのではないかと思われる。
そして、ロックは「観念」にどのようなものがあるかを説明する。観念は感覚されたり内省されることから心にもたらされるのである。ヒュームはロックが観念として語っているものを「印象/観念」に二分しており、このことは第2節で既に述ぺた。それゆえヒュームにおいては、感覚された観念は感覚印象からもたらされた観念を意味するだろうし、内省された観念は記憶され想像された観念を意味するだろう。
ロックは、単純/複雑という二分法を導入している。そしてヒュームもまたこの二分法を導入したのであった。心は単純観念を感覚や内省によって「示唆され」、捉えられるのである。その単純観念を比較したり合一して、知性は複雑観念を好き勝手なように組成することができるのである。
ここで注意する必要があるのは、(冨田, 1991: 90) のように「何らかの『単純』と思しき可感的観念が与えられていても、それを何の観念として把えるかは、必ずしも一意的に定まるものではない。心がこれを、ある観点から、あるものとして把えることによって、はじめてその内実が定まることになる」という解釈を添えることができるということである。観念は二つの仕方で「示唆される」のであり、それを「捉える」のは知性なので、単純観念が受動的なものだという結論は性急であると思われる。
単純観念は自然において実在する事物からもたらされるので、「実在的観念」と呼ばれる。そして関係は、人々の心にあるという実在性をもつだけである (Locke, 1961: 315f., 第I巻第XXXX章第4.節)。ここからエアロンは、先述で引用したように、ロックが関係の観念だけを議論していると言って非難するのである (Aaron, 1971: 180)。ロックにとって「関係」というものは、心においてしかじかの関係として理解される観念が存在すればそれで実在的なのであり、また関係はそうした心における観念としてしかありえないというわけである。すると、わたくしたちはロックにとっての関係が主観的なものであったと結論することができるように思われる。この点は、関係が実体にとって「外的かつ付加的なものである」(Locke, 1961: 269, 第II巻第XXV章第8.節) と語られていることからも、裏付けられるように思われる。しかし、
ロックが関係を説明するとき、彼は明らかに次のことを前提していたのである。つまり関係は実在する事物のあいだに想定された存在であり、確かに関係は我々があからさまに率直に比較するときにだけ存在するのだが、それでも関係は、少なくとも最終的には客観的な事実を指し示すものとして客観的な存在なのである。(Aaron, 1971: 181)
エアロンの解釈を受け入れるならば、ロックの関係にかんする説明は大変に混沌としたものに見える。このことについてエアロンは、更に追い撃ちをかけてこう述べる。
〔…〕もしロックが第I巻を越えて関係の説明を求めたならば、彼の混乱は減るより寧ろ増えるであろう。第III巻では、関係は〔…〕複雑様態の一つに数えられている。第IV巻ではまた、関係は何かを知るときの対象である。なぜなら、知られているであろう諸観念のあいだの同意を四つの種類に分けたとき、そのうち三つは「関係に他ならない」からである。ロックは第II巻の中で、こうした説明が不完全なものであるということを認めている。〔…〕この不完全さは、後に関係それ自体の概念を明確にできるだろうという弁解のもとに堂々と放置されていたが一一しかし、彼は関係の概念を明確なものにしなかったのである。(Aaron, 1971: 192)
実際、ロックに対する好意的解釈を意図した冨田恭彦でさえもが「ロックの場合、与えられたものが主題となっている部分と概念が主題となっている部分がその著作中に混然とした形で現れてくる」と述べている (冨田, 1991: 40f.)。
ロックについて言うならば、確かにこれまで見てきた「関係」の説明が、当時のスコラ哲学を足蹴にするほど厳密なものだったとは断じて思えない。実際、モンテーニュからこのかた、先人の業績を蒙昧だと嘲笑してきた哲学者は一山いくらで無数に存在し、ロックもその一人である。彼らがスコラ哲学の死亡届を提出する際に書いた死因は、「蒙昧」や「不明確」であった。けれども、ロックにはそのような死亡届を提出する資格がないと思われる。それゆえ、関係にかんするヒュームの議論をロックの議論で明確化することはかなり危険であろう。寧ろ、ヒュームがロックの議論のどういった点を参照し、批判しつつ考察したかということを説明したほうがよい。
しかしそれでも、ヒュームはロックの多くの不明確な議論を援用している。例えばロックは関係を複雑観念として、単純観念として、そしてときには複雑観念を生むそのやり方として説明してしまっている。これと同様に、ヒュームは関係を複雑観念として説明する一方で、連合原理を性質として語っており、これは関係を単純観念として誤解するもととなるだろう。それを複雑観念として説明するためには、【Pトイッタコト】(【…】を準引用の括弧として用いる)という表現で、関係を構成する「状況」を個体化しなければならない。すると、状況として説明された哲学的関係との異同は、「連合原理による状況を複雑観念として心に描く」ことと「連合原理によらない状況を複雑観念として心に描く」ことの差になる。それゆえ、関係は複雑観念に対する反省を前提し、そこで得られた印象に基づく観念となるだろう。
ヒュームにおける哲学的関係を解くためには、関係にかんするロックの議論を理解する必要があったのであり、そのために本節ではロックの議論をみてきたのである。関係を説明したヒュームの論述における「状況」とは、わたくしたちの知性すなわち主観における状況を指している。それゆえ、哲学的関係が主観的な関係を意味している、ということは間違いない。そして、ロック自身の責任において解釈の相違が生じてしまうとは言え、関係が主観的なものである(つまり「関係」とは「関係の観念」を意味するだけであるということ)という点は、ヒュームがロックから教えられた一つの見解と見做すことが可能だと思われる。
ところで、ロックもヒュームも関係を観念としての関係と理解した、という点は明白になったけれども、それは何の観念なのだろうか。ロックとヒュームに従えば「関係それ自体」というものは議論の対象にならない。関係は観念としてしか実在しないからである。しかし、関係が観念であるとは言え、何らかの観念が「関係の」観念であるためには「関係の観念」の一般的な意味づけが必要であるだろう。そしてその意味は、関係一般の観念であると言えるに違いない。一般-特殊という二分法を用いて、わたくしたちはそのように「関係の観念」を理解することが可能なのである。つまり、ロックやヒュームが議論しているのは、「長い」とか「早い」といった個々の関係の観念なのか、それとも観念としての関係というもの一般なのか、というわけである。
ロックの議論において最も不明確だったのは、ロックが何を対象として論じているのかということであった。わたくしたちは、本節において関係が観念としてしか存在しないという結論にまで到達したけれども、上記のような問いが可能である以上、関係が観念であると結論するだけでは不充分である。ここでわたくしたちは、一般-特殊という二分法とかかわりがある、一般観念ないし抽象観念にかんするロックとヒュームの見解をみておく必要があろう。そしてこの見解にはバークリーがかかわってくる。
[中篇に続く]
